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法話
2021/03/20
3月の法話(春のお彼岸)

 春のお彼岸の季節がやってまいりました。私たちの生きている迷いの世界を「此岸(しがん)」と呼び、対して「彼岸」は仏様の世界、さとりの世界を指します。さらに「彼岸」にはもう一つ意味がありまして、サンスクリット語のパーラミター(波羅蜜多)の訳語でもあります。これは迷いの世界からさとりの世界に至ることという意味です。
 「彼岸」に至るための修行を六波羅蜜と申します。布施(ふせ)、持戒(じかい)、忍辱(にんにく)、精進(しょうじん)、禅定(ぜんじょう)、智慧(ちえ)の六種類です。例えば布施という行には、無財の布施というものがあります。その中で「和顔施(わげんせ)」はにっこりと笑顔で相手に話しかけることを言います。私にとって、「和顔施」は本当に難しいと感じています。ただ笑って優しい言葉で話しかける。誰にでも出来そうですが、不自然になってしまうのです。それは私の心に「はからい」があるからです。そして縁がはたらけば、笑顔がたちまち仏頂面になってしまうものです。「布施」を例に挙げましたが、六波羅蜜はどれも末通って実践していくことは私たちにとって非常に困難であります。
 『仏説阿弥陀経』というお経様には「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、極楽と名付けられる世界がある。」と書かれています。これは物理的な距離を表しているのではありません。極楽とはそれだけ私たちには果てしなく心の及ばない「さとりの世界」ということです。私たちが修行して生まれるには十万億土も経ていかねばならない極楽浄土に速やかに往き生まれさせて頂く。それはひとえに阿弥陀様が兆載永劫(ちょうさいようごう)という想像をはるかに超えた時間、ご修行下さり、南無阿弥陀仏と仕上がり、今、この身に入り満ちて下さっているからです。「彼岸」とは、私たちにとって、果てしなく遠い世界でありながら、今、ここに、南無阿弥陀仏と届いて下さる世界であります。称名。【副住職】