法話
2021/04/20
4月の法話(道綽禅師御正忌に因んで)
4月27日は、道綽禅師の御祥月命日に当たります。道綽禅師(以下禅師)とは、親鸞聖人が七高僧と仰がれた方のうちのお一人で、西暦562年に、現在の中国山西省でお生まれになられました。当時の中国は南北朝時代で、山西省は北斉という国の支配下にありました。ところが、禅師16歳の時、北斉は北周によって滅ぼされ、北周の武帝は、仏教を徹底的に弾圧しました。当時、禅師は既に出家されていましたので、大変な思いをなさったことと思われます。
武帝は北斉を滅ぼした翌年に亡くなり、仏教弾圧は終わりましたが、武帝の後を継いだ長子の宣帝は自分の長子である7歳の静帝に位を譲り、自らは放恣な生活を送って580年に22歳でこの世を去り、翌年の581年に静帝を補佐していた楊堅が実権を握って、隋(581~618)が興ります。こうした混沌とした時代に生きられた禅師は、この世は末法であるとお考えになりました。仏教には、三時思想という考え方があります。まず正法の時代(お釈迦様の教えとその教えに従って修行をして、実際にさとりに至ることの出来た時代)お釈迦様入滅後500年、次に像法の時代(お釈迦様の教えとその教えに従って修行する者はいるが、さとりに至ることが難しくなった時代)お釈迦様入滅後500年~1500年、そして末法の時代(お釈迦様の教えはあるが、修行する者もさとりに至る者も存在しない時代)お釈迦様入滅後1500年~となります。禅師はこの末法の世の中においてはその時代に相応しい教えでなければならない、それは正しくお念仏の教えであると考えられたのです。
禅師は『安楽集』という書物を残しておられます。その中で、次のように言われています。
「真実の言葉を集めて往生の助けとしよう。なぜなら前(さき)に生まれるものは後のものを導き、後に生まれる人は前のもののあとを尋ね、果てしなく連なって途切れることのないようにしたいからである。それは数限りない迷いの人々が残らず救われるためである。」
私はお通夜の席でこの禅師のお言葉を引用して、お話させて頂きます。私たちが今、お念仏に出遇い、南無阿弥陀仏と申すことが出来るのは、決して自分のはからいでは無く、遠くご先祖を始めとした様々な方々の数えきれないほど多くの導きによるものでありました。称名。【副住職】