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法話
2021/05/01
5月の法話

迷惑をかけずに 生きていくことが 大切ではない

迷惑をかけずには 生きられないと 知ることが大切

(真宗仏光寺寺派本山掲示伝道より)
 子供の頃に、「人様に迷惑だけはかけてはならないですよ。」と育てられた方や、「なるべく子供には迷惑をかけずに過ごしたいです。」と思っておられる方は、割と多いように思います。「迷惑をかけない」ことが「相手に対する思いやり」と考えれば、「迷惑をかけない」ようにするべきでしょう。しかしながら、私たちは本当に周りに迷惑をかけずに生きていくことが出来るでしょうか。
 先日、毎日新聞の人生相談のコーナーで、ある男性の方のお母様が認知症で悩みを相談しておられました。「認知症」という病にかかることで、「子供には迷惑をかけたくない」と思っていても、迷惑をかけてしまうことがあります。時として私たちは意図せずに迷惑をかけてしまうものです。私たちは人間関係でもお互いに「迷惑をかけながら」しか生きていけませんが、自然や周りの生き物に対してどれほど迷惑をかけているのでしょうか。ただ知らないだけであります。迷惑をかけずには生きられないと知れば、それは言葉に現れるものであると気付かせて頂いたことがあります。江戸時代から昭和の初めに生きられた因幡の妙好人*源左さんの言葉です。

「私は、まだ人さんに堪忍してあげたことはございません。人さんに堪忍してもらってばかりおります。」

源左さんは、若くして父と死別し、大変苦労された方です。しかし、「自分が堪忍して生きているのではない。堪忍してもらってばかりなのだ」と頂いておられます。源左さんの言葉から、改めて「迷惑をかけずには生きられないと知ることの大切さ」を教えて頂いたことであります。称名。【副住職】

妙好人*:言葉では表現できないほどうるわしい人ということで、お念仏に生きた方を讃える呼び方。