法話
2021/05/20
5月の法話(親鸞聖人降誕会に因んで)
5月21日は親鸞聖人がお生まれになった日です。御本山では毎年、「降誕会」という法要が勤められます。私が通っていた龍谷大学でも降誕会祭りが行われ、提灯を持って京都の街を練り歩く「提灯行列」は京都の風物詩になっています。御釈迦様や他宗派のご開山でもご生誕の法要を「降誕会」と申します。ところで、何故「降誕会」と呼ばれるのでしょうか?ある布教使の先生がこのように話しておられました。
「「降誕会」の「誕」の字には、「いつわり、うそ」という意味があります。つまり親鸞聖人は、阿弥陀様の真実であるお念仏を伝えるために、うそ、いつわりのこの世界に降りてきてくださったのでしょう。だから、誕生と言わずに降誕と言うのです。」
「誕生会」と申しますと、「おめでとう」と周りの人からお祝いされますが、「降誕会」では、勿論、親鸞聖人のお誕生をお祝いさせて頂くのですが、それだけではなく、「親鸞聖人のおかげで、今、お念仏に出遇うことが出来ました。有難うございます。」と私たちがお礼申し上げるご縁と頂くことができます。大正時代に『宗祖降誕会』という歌が作られましたが、その歌詞に「降誕会」の意味がよく表現されているように思います。
①闇に迷う われひとの* 生くる道は ひらけたり
無漏の灯(ともし)* はるけくも かかげんとて 生(あ)れましぬ
たたえまつれ 今日の日を 祝いまつれ 今日の日を
②枯れはてにし 天地(天地)は いつくしみに うるおえり
甘露の雨* とこしえに そそがんとて 生(あ)れましぬ
たたえまつれ 今日の日を 祝いまつれ 今日の日を
われひとの*:私や他の人々の
無漏の灯(ともし)*:迷い深い凡夫を導く阿弥陀様の光。「露」は、さまざまな心の汚れを総称して表す語。汚れがすべて滅し尽くされた状態を「無漏」と言います。
甘露の雨*:苦悩を癒す甘い液体。阿弥陀如来を「甘露王」ともいいます。阿弥陀如来の慈しみを喩えた言葉。御釈迦様ご降誕の時にも、この雨が降ったといわれます。
(浄土真宗本願寺派 総合研究所HP 仏教音楽作品解説より引用)
総合研究所HPでは、「快いテンポを持つ曲です。明るく軽やかに歌いましょう。」と歌い方についても解説されていました。皆様も明日はこの歌を歌い、親鸞聖人の御生誕をたたえ、祝ってみては如何でしょうか?称名。【副住職】