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法話
2021/06/01
6月の法話

うぬぼれは 

木の上から ポタンと落ちた

落ちたうぬぼれは

いつのまにか また 木の上に登っている

榎本栄一 『群生海』より
 今月の言葉は榎本栄一さんの詩です。榎本栄一さんは、明治36年、兵庫県の淡路島で生まれ、5歳の時、両親が大阪に出て、化粧品店を始めます。高等小学校を卒業された頃に父親と死別され、第二次世界大戦の空襲で淡路島に疎開し、終戦後、再び大阪に戻り、昭和25年には東大阪市で化粧品店を開業されます。浄土真宗に帰依され、数多くの仏教詩を残し、平成6年、仏教伝道文化賞を受賞されました。

 この詩は『木の上』と題されました。詩には「うぬぼれは木の上からポタンと落ちた」とあります。私はこの言葉を見てそもそも「うぬぼれ」ているという自覚さえ無いことに気付かせて頂きました。しかしこれが怖ろしいことなのです。
 親鸞聖人がお書きになられた『正信念仏偈』の中に、「邪見驕慢悪衆生(じゃけんきょうまんなくしゅじょう)」とあります。「邪見」とは、因果の道理を否定し、仏教をそしるような見方を言い、「驕慢」とは他に対して優越感を持ち、うぬぼれていることです。これが今の私自身の姿なのです。そして、これは自分を省みて反省することではありません。お念仏によって阿弥陀様の前に丸裸にされた姿そのものであります。それはうぬぼれが木から落ちても、またすぐに木に登ってしまう、あさましい姿でもあります。妙好人の浅原才一さんはこんな詩を残しています。

じゃけん(邪見)なり あさましなり 鬼なり
これがさいち(才一)がこころなり
あさまし あさまし あさまし

邪見、驕慢の自己を正当化し、阿弥陀様に背中を向けて気付こうともしない「うぬぼれ」心に満ちたこの私を、全て引き受けたと南無阿弥陀仏となって今ここに入り満ちて下さっていることに、ただお念仏申すばかりであります。称名。【副住職】