法話
2021/07/01
7月の法話
しくじる
またひとつ しくじった
しくじるたびに 目があいて
世の中 すこし広くなる
榎本 栄一 『群青海』より
7月の言葉も榎本栄一さんの詩です。誰しも「しくじった」ことがあると思います。しかしながら、その時「しくじった」と思っても、すぐに忘れてしまい、また同じ過ちを繰り返してしまうこともあります。また、あるご法話で、こんなことを聞かせて頂きました。「よく自分でお茶碗を落とした時、「お茶碗が割れた」と言うけれど、割れたのではなく、割ったのですよ。」私たちは、場合によっては自分で犯した過ちであっても、他に責任転嫁してしまいがちであります。
私は自分の過ちに向き合う心を大切にしたいものであると改めて考えさせられる本に出遇いました。『金澤翔子、涙の般若心経』(金澤泰子著、世界文化社、2013)という本です。金澤翔子さんはダウン症でしたが、幼い頃から書道を習い、10歳の時に『般若心経』の写経を始めます。『般若心経』は全部で276文字あるそうです。最初は失敗を重ね、お母様から何度も叱られては、泣きながら愚痴もこぼさず、ひたすらに書き続けられました。そして、『般若心経』の一行目を書き終えた後、涙で目を赤くしながら「ありがとうございました。」とお母様に対して精いっぱいの礼を尽くされました。私は本を読みながら、自分自身が恥ずかしくなりました。「私だったら、きっと母親に対して口ごたえをし、過ちを繰り返すことに腹を立て、逃げてしまっていただろう」と思います。過ちを真摯に受け止め、乗り越えていく姿勢を金澤さんから教えて頂きました。「しくじる」ことを嘆くのではなく、「しくじる」たびに自分自身に向き合うことで、気付かせて頂く世界があります。称名。【副住職】