法話
2021/07/20
7月の法話(海に因んで)
今年の7月22日は海の日です。ところで、海について私たちはどれほどのことを知っているのでしょうか?海は地球表面のうち、70%を占めています。しかしながら、陸上では詳細な地形図が分かっていますが、海の地形のほとんどは、まだ正確に分かっていません。また、海の生き物は1000万種以上存在するとされていますが、分かっているのはほんの僅かのようです。このように私たちは海についてほとんど何も知りません。
親鸞聖人は仏様のおさとりの世界と私たち人間の迷いの世界をよく海にたとえておられます。この2つは相反する世界でありながら、どちらも広く深く際限のない有り様を海にたとえておられるのです。これは私たちの煩悩が深ければ深いほど、阿弥陀様のお慈悲の心も限りなく広く深いことを表しています。親鸞聖人は海のたとえを通して、阿弥陀様の深き慈悲の恩徳(おんどく)を仰がれ、私たちの煩悩の深きこと底がなく、迷いの広さが果てしないことを懴悔(さんげ)されていると霊山勝海和上(よしやましょうかいわじょう)は述べておられます。(『正信偈を読む』霊山勝海著、本願寺出版、2002、74頁)
お正信偈様には、次のように書かれています。
「思えば御釈迦様がこの世に出て下さったのは、ただひとえに海のように深く広いあなた(阿弥陀様)の願いを説くためでありました。濁った世界、悪い時代に生き、苦しみの海におぼれているいのちあるものは、仏のまことの言葉を信じるべきなのです。」(『正信偈62講ー現代人のための親鸞入門ー』中村薫著、法蔵館、1999、78頁)
私たちは、果てしなく広く深い海について何も知らないように、自分自身の抱える煩悩や迷いの深さも知りません。だからこそ、海のように広く深い阿弥陀様の願いが南無阿弥陀仏となって届いて下さっているのです。称名。【副住職】