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法話
2021/08/01
8月の法話

うまくいけば 先祖のおかげ

ひとつ違えば 先祖のたたり

私の都合で 先祖を

仏とし 鬼とする

(真宗仏光寺派本山掲示伝道より)
 お盆の季節がやってまいりました。日本人の多くはご先祖のお墓参りに行かれます。皆さんご先祖に感謝のお気持ちでお参りされていますが、ひとたび都合の悪いことが起こると、先祖のたたりと思ってしまう方もおられるようです。これでは私の都合によって、ご先祖が仏になったり、鬼になったりしてしまいます。果たしてご先祖は、私たちにたたったりされるでしょうか?仏様となられたからには、決してそんなことはありません。南無阿弥陀仏と共にいつでも届いて下さっているのです。
お正信偈様に、そのことを示す御文があります。

「遊煩悩林現神通 入生死園示応化」

煩悩はげしい生活の中でも いのちの感覚を失わず、生と死の不安におののく現実の中にあっても、まるで林や園に遊ぶようにたのしく、人と出会い呼びかけ、関わり続けているのです。
『正信偈62講ー現代人のための親鸞入門ー』(中村薫著、法蔵館、1999、150~151頁)

 ご先祖様は今、私たちに呼びかけ、関わり続けて下さっているのです。それはまるで、林や園で遊ぶように自由自在であるとお示し下さっています。今、私たちがお念仏に出遇うことが出来たのは、遠く今までいのちを繋いで下さったご先祖のおかげであります。そのことに感謝申し上げるのが、浄土真宗におけるお盆の過ごし方です。称名。【副住職】