法話
2021/09/01
9月の法話
眠れない夜を
嘆く者は多いが
目覚めた朝に
感謝する者は少ない
9月に入りましたが、まだ蒸し暑い日が続いています。眠れない夜を嘆いておられる方も多いかもしれません。夜よく眠れませんと、朝の目覚めも悪く、感謝するどころか、「もう朝が来たのか」と思うこともあるでしょう。しかしながら、この当たり前と思っている日常が、本当は尊いことであると私は母方の祖母に気づかせて頂きました。
母方の祖母は、お手洗いに入っている時、中でいつも「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」とお念仏しておりました。子供だった私はそれが何故だか分からず、理由を尋ねますと、こう話していました。
「お手洗いで用を足すことが出来るのは、有難いことなのよ。だからお念仏しているの。」
お念仏するのは、仏様の前だけではないのだなと思った程度で、その時はそれほど気にも留めていませんでした。しかし今となっては、祖母の言葉の尊さが分かります。寝て起きることもまた同じように尊いことなのです。
「ねてもさめてもいのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。」(『御文章』 蓮如上人)
お念仏は、私が寝ていようと、起きていようと、休むことなく届いて下さっています。称名。【副住職】