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法話
2021/09/20
9月の法話(敬老の日に因んで)

 「病は気からですよ」と、お参りに伺う度におっしゃるある門信徒の方がおられます。確かにその通りだなと私も感じています。昨今のテレビの報道ばかり見ていると、本当に病に罹ってしまいそうになります。しかしながら、逆にこれほど自分自身の健康について意識したことが無かったことも事実です。コロナウイルスに罹らないためにはどうすれば良いのか、お医者様方や大学の先生方のインターネットでの情報発信のお陰で様々なことを学ばせて頂いております。
 さて、「健康に気を付けて長生きしたい」というのは、誰しも願うことだと思います。昔、今から1500年ほど前に北魏という国に生きられた曇鸞大師(以下大師)もそのお一人でありました。ある時、大師は大病を患われました。当時、大師は『大集経』という仏教経典の註釈に尽力されていましたので、この大事業を貫徹するためには、健康で長寿でなければならないと考え、不老長寿の法を求めて、はるか揚子江の南に住む陶弘景という仙人をたずねられます。そこで、長寿のための仙経十巻を授かります。それらを携えて、洛陽に入り、そこで菩提流支(以下流支)という高僧に出会われました。大師は流支にこう尋ねらました。

「仏法の中に、この仙経に勝るような長生の法はありますか?」

流支は地面に唾を吐き捨て、こう言い放たれました。

「長老不死の法などどこにあるのか。たとえ命を長く保てたとしても、しばらくの間だけだ。やがて必ず死に、輪廻するのみである。」

その上で流支は大師に浄土の経典を授けられました。大師は、このお言葉に目覚められ、苦労の末にはるばる江南まで行って手に入れた仙経の全てを焼き払い、浄土の教えに帰依していかれたというお話です。
 昨今は、あまりに健康志向が強いように思います。それは良い意味でも悪い意味でも言えることです。健康で長生きできることはそれはそれで有難いことと受け止めて、只今の命が還っていく世界(お浄土)を阿弥陀様はもうすでに完成されて、今も休むことなく仏法を説き、南無阿弥陀仏となってこの命に入り満ちて下さっています。だからこそ今この命を安心して歩ませて頂けるのですね。称名。【副住職】