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法話
2021/11/01
11月の法話

公園の落ち葉には 秋を感じ

自庭の落ち葉には ため息をつく

はぁ… 掃除しなければ

(京都佛光寺派本山掲示伝道より)
 木の葉の落ち葉に秋を感じる季節になりました。英語で秋のことを"fall"と言いますが、本来「落ちる」という意味であることはよく知られていることです。それほど私たちは落ち葉に秋を感じるのでしょう。しかしながら、その時の状況によっては必ずしもそうはならないのが私たちの有様のようです。
 仏教では、「唯識」という考え方があります。これは全ての事象は私たちの心によって生み出されているという教えです。私たちの目を通して見た全てのものが、心に影像として映っていて、その影像に対して様々な縁によって感情を抱いているに過ぎないということです。ですから公園で見る落ち葉と自庭の落ち葉は同じ落ち葉でありながら、全く違う印象を持ってしまいます。心とはころころとその時の縁によって変化してしまう頼りないものなのですね。


そういうものであると分かれば、必要以上に感情にとらわれることもないと思います。「掃除をしなければ」という感情が生まれたとしても、その気持ちのままで、掃除をすれば良いのです。私たちの心も落ち葉も変わりやすいものですが、どんな状況でも変わることなく、南無阿弥陀仏がご一緒です。ため息と共に、あるがままにお念仏申してまいりましょう。称名。【副住職】