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法話
2021/11/20
11月の法話(聖徳太子1400年大遠忌に因んで)

 今年は聖徳太子の1400年大遠忌に当たります。法隆寺では、四月三日から五日まで法要が勤修されました。私自身も、今年は仏教青年会の活動として、四天王寺の前で募金活動をさせて頂いたり、また法隆寺にも参詣するご縁がありました。お蔭で聖徳太子のご遺徳を改めて偲ばせて頂いたことであります。
 聖徳太子の後世に残された功績は計り知れませんが、何より太子がおられなければ、私たちは仏法に出遇うことができなかった訳です。さらに、『憲法十七条』の価値は今を生きる私たちにとっても大きいものであると思います。なぜなら『憲法十七条』は私たち日本人の精神の根幹が述べられているからです。東京大学名誉教授、佐藤正英先生は『憲法十七条』についてこのように述べておられます。

「憲法十七条における策励、禁止、命令を発している主体は、国家の統括者としての推古天皇ではない。また述作者である太子でもない。策励、禁止、命令を発している主体は、なんらかの権威を背負った特定の個人ではなく、理念としての官人共同体である。憲法十七条における策励、禁止、命令は、理念としての官人共同体に淵源し、理念としての共同体から発せられている。」(佐藤正英著『聖徳太子の仏法』、142頁、講談社現代新書、2004)

ここで、佐藤先生は「官人共同体」とされていますが、「日本国民」と置き換えても十分通用するものであると私は思います。重要なことは、憲法の主体が個人ではなく、共同体であるというところです。国民主権の礎が1400年以上も前にもう既に完成されていたと言っても過言ではないと思います。
 今、政治の世界では、憲法改正に向けた議論が高まりつつあるようです。NHKの報道によると、政府は、国民に対して憲法改正に向けた理解を広める取り組みを強化するとのことです。時代に則したかたちで、憲法改正は必要なことでしょう。しかしながら、難しい問題なので、十分な議論が必要であることは申すまでもありませんが、改めて政治家や国の都合ではなく、国民主権の憲法であるか、否かが問われているように思います。憲法改正についても私たちは考えていかなければなりませんが、今一度、『憲法十七条』の精神に立ち返ることも必要ではないでしょうか。聖徳太子1400年大遠忌を迎えるにあたり、そのように感じております。称名。【副住職】