掲示板記事詳細

法話
2022/01/01
1月の法話

自分を押し出し いがみあい

自分を引き受け おがみあう

(仏光寺派本山掲示伝道より)
 今年も新年を迎えました。私たちは新年を迎えたら、相手を敬う気持ちで「明けましておめでとうございます。」と挨拶します。新年から、いがみあう人はそういないでしょう。ところが、新春バーゲンセールに行くとどうでしょうか。我先にと自分を押し出し、目当ての商品を手に入れたいと思う人もおられると思います。私たちはその時の状況によって、感情がころころと変わってしまうものです。
 私たちは「有情」と呼ばれる存在ですので、感情が変わることはやむを得ません。しかしながら、感情に振り回されないことが重要です。私たちの感情はあくまで自分を表現するための手段に過ぎません。根底には「感謝、尊敬」の気持ちを忘れないようにしたいものです。「自分を引き受け おがみあう」とは、「今のありのままの自分を喜び、周りの人々に対して感謝の心を持つ」と言い換えることが出来ます。おがみあうことも大切ですが、おがまれていることにはなかなか気付けないものです。東井義雄さん*の詩を思い出します。

拝まない者もおがまれている
拝まないときもおがまれている

今年も阿弥陀様の大いなる願いの中で、多くの命と数限りないご縁のおかげにより、新しい年を迎えることが出来ました。称名。【副住職】

*東井義雄(とういよしお、1912~1991):兵庫県豊岡市但東町佐々木にある浄土真宗の東光寺に生まれる。1932年に姫路師範学校を卒業した。卒業後、豊国小学校赴任を皮切りに小学校教師として奉職、多くの著作を残す。1972年に八鹿小学校校長を最後に定年退職。翌年4月より姫路学院女子短期大学、兵庫教育大学の講師を務め、1987年辞任。東光寺住職。(wikipediaより)