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法話
2022/01/01
住職年頭挨拶

新しい年が明けました。今年もまた南無阿弥陀仏とともに生き抜きましょう。
「煩悩に 馳せ使われて 走り廻って また 年新た」(浅田正作)
 煩悩とは私達誰もが持っている欲のことです。ああしたい、こうしたい、ああなりたい、こうなりたいと私達は他人や物事を見比べながら日常生活を送っています。しんどいですね。そしてそれは死ぬまで続くのです。煩悩(欲)あればこそ人間は進歩し快適な生活をおくることができたのは事実です。しかし、煩悩ゆえに塗炭の苦しみに喘がねばならないのも事実なのです。煩悩は知らぬ間に私達の心を支配しているのです。
  「煩悩に馳せ使われて 走り廻って」と浅田さんは言っています。煩悩に支配され思うがままに動かされている自分自身の姿を描いています。言い換えれば浅田さんは煩悩の姿を的確に捉えているのです。煩悩を見つめ直し煩悩を持ったままで生きる自分。「また年新た」とは今年もまた煩悩とともに歩んでゆこうと決意されているわけでしょう・。
 日常生活では見えてこない煩悩を見つめ直させたのは、阿弥陀如来のお力に他なりません。阿弥陀さんが煩悩という人間の闇に光を当ててくれたからこそ自分自身の煩悩を見つめることができたのです。
 何気なく一年が過ぎてゆきます。今年も神社仏閣の初詣に参拝されるでしょう。ああしたいこうしたいとお願いする前に、煩悩に支配される哀れな自分自身の姿に気づいてみませんか。阿弥陀さんは煩悩を持ったままでいいよ、そのままでいいよと語りかけて下さいます。ありがたいもったいないことです。今年も南無阿弥陀仏とお念仏申しながら一日一日大切に過ごしたいものです。