法話
2022/03/01
3月の法話
科学は「?」を積み重ねて
進歩するが
仏法は「!」と気づかされて
立ち止まる
(佛光寺派本山 掲示伝道より)
私は科学のことはよく分かりませんが、科学では何事にも「?」と疑問を持つことが重要とされているようです。考えてみると、身の回りで起きている自然現象も不思議なことばかりですね。
例えばこれから花粉が多くなりますが、何故かと言われると、「そういうものだから。」で済ませてしまいます。おそらくそれは、そのことを知ったところで、花粉症でない限り、自分の生活にあまり関係がないからでしょう。ところが、何事においても「そういうものだから。」と何も自分で考えなくなってしまうと、「自分らしさ」を失うことになります。
「自分らしく」生きることと、「自分勝手」に生きることは全く違います。「自分勝手」に生きるとは、周りの人からエネルギーを奪っていく生き方です。「自分らしく」生きるとは、「お互いを尊重した上で、自分の考えを持って、自分の目的のために生きていく」ということです。御釈迦様はこのように言われます。
「たとえ他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。」(中村元訳『ブッダの真理のことば 感興のことば』、岩波文庫、33頁)
一度、当たり前と思っている日常に疑問を持ち、自分が本当に望む目的は何であったかと立ち止まって、問うてみるのも良いのではないでしょうか。すると、「!」そうだったのかと今まで知らなかった自分の姿に気付かされることがあるかもしれません。
忙しい毎日を送っている方もおられることでしょう。しかしながら、「忙」という字は「心を亡くす」と書きます。時には、ぼーっとして、鳥のさえずりを聞き、春の風を感じ、「今」を生きてみては如何でしょうか。今月は彼岸会です。皆様、一度お寺に足を運んでみませんか。称名。【副住職】