先日、電車に乗っている時、周りの人を見渡すと、十人中八人くらいの方がスマホを見ていました。それほど暇な時は、スマホを見ることが多いのでしょう。私の場合は、LINEに気付かないことが多いので、若坊守に怒られています(笑)
確かにスマホは便利ですが、飽くまでも画面上の情報でしかないことは申すまでもありません。そして、その情報が正しいのかどうかも実際のところ、分からないのです。一方で「有情」と呼ばれるように私たちには心があります。「ワタシを見て」という思いは私たちの心の叫びではないでしょうか。
大学時代、コーラスで「家族合わせ」という組曲を歌った詩をふと思い出しました。風間和之さんの『告白』という詩です。
私を見て もっと私を認めて
行き場所のない思いに 応えてもっと
子供だから何がいけないの
大人じゃないと何がだめなの
もっと私を見てちょうだい
もっと私に自由をちょうだい
空っぽになりそうなココを
満たしてほしい もっと
おそらくこの詩は子供の親に対する訴えを表現しているのだと思います。しかし、大人であっても、「私を見てほしい、もっと認めてほしい」という声にならない思いがあるのではないでしょうか。スマホばかり見ていても、お互い心を通わせることは出来ません。実は私たちの表情からは様々な情報を得ることが出来ます。残念ながら、今はマスクをしているため、表情が分かりにくくなってしまいました。だからこそ、より一層、お互いを意識してみる必要があるのです。私たちは画面上の情報に流されるのではなく、感覚を通して感じたことを大事にしたいものですね。称名。【副住職】