法話
2022/06/01
6月の法話
失ったものを
数えながら生きるか
恵まれたものを
喜びながら生きるか
私たちにとって「失ったもの」は、分かり易いと思います。それは過去を振り返れば良いからです。すなわち「失ったものを数えている」ということは、過去に縛られて、感情が揺れている状態になっているということになります。
一方で「恵まれたもの」は、当たり前になっていて、気が付かないことが多いのではないでしょうか。私たちに等しく「恵まれたもの」とは「今を生きている」ということです。今を喜んで、感謝して生きていくには、「失ったもの」にどう向き合っていけば良いかがはっきりしてくると思います。
相田みつをさんがこのような詩を残しておられます。
あのときの あの苦しみも
あのときの あの悲しみも
みんな 肥料になったんだなあ
じぶんが 自分になるための
「失ったもの」に苦しみや悲しみなどの感情が生まれたとしても、今の自分になるための肥料になっていると受け止めることが出来れば、「失ったもの」もまたご縁でありましたと頂いてゆけるのではないでしょうか。
「失ったもの」は過去であり、「恵まれたもの」は今です。
「過去があって今の自分があり、今の自分がまた未来を創っていく。そしてその自分が存在できるのは、無数の恵まれたもののお蔭様である。有難うございます。南無阿弥陀仏。」このように生きてゆきたいものですね。称名。【副住職】