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法話
2022/07/01
7月の法話

耳は だまっているくせに

聞いている

自分のウソを 聞いている
 この場合自分のウソとは、2種類考えられます。1つは自分に都合が悪くなってウソをつくこと。もう1つは自分自身にウソをつくことです。
 1つ目のウソは、自分でウソをついたことが分かっていますので、ウソをついた原因を考え、対処することが出来ます。
 2つ目のウソは、根本的なウソのため、自分でも気が付かないことが多いように思います。自分に素直になれないほど、辛いことはないでしょう。
 ウソを付くことは悪いことと分かっていても、付いてしまうのは、「我慢」しているからです。「我慢」していることを素直に言えないので、敢てウソを付いているのです。
 しかし、ウソを付くことで「私は今我慢をしている」ことが分かるだけでも、気持ちは楽になるのではないでしょうか。「ウソを付いてしまって、私は悪い人間だ。」と思うより、「ウソを付くほど、自分は我慢しているので、もっと自分に素直に生きよう。」と思うことで、先に進むことが出来ます。
 
 本当に自分が望む目的は何であるのか、素直に自分の心に聞いてみることが何より大切です。改めて『ダンマパダ』に書かれている御釈迦様のお言葉を頂きたいと思います。

「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ」(中村元訳(1978)『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫33頁)

称名。【副住職】