法話
2022/07/20
7月の法話(御堂さん7月号)
『御堂さん』7月号の表題に「共生 生きよう、ともに 自然界に学ぶギブ&テイク」とありました。記事では、専門家の方々が様々な生き物たちが共生する姿を紹介されていました。生き物たちの共生にただ驚かされることばかりでありました。
ところで「共生」という言葉をインターネットで調べてみると、「異なる種類の生物が、生理的あるいは生態的に緊密な結びつきを保ちながらいっしょに生活している現象。」(コトバンク)とあります。そう考えると、表題の「ギブ&テイク」という言葉に私は少し違和感があります。「ギブ&テイク」には、「人間のはからい」があるからです。この「人間のはからい」こそがありのままに受け止めることが出来ない要因ではないでしょうか。
記事の最後に、山崎龍明(りゅうみょう)武蔵野大学名誉教授が「「響」きあう いのちの回復」と題してご法話をされています。
ある小学校の先生が「害虫と益虫の2種類があります。」と話すと、ある生徒が、「先生は害虫ですか。益虫ですか」と質問したそうです。先生はしばらく考えて「そうだな。よく考えると、先生は害虫かもしれないな。」と言ったというエピソードを紹介されていました。そして、害虫と益虫の意味を述べられた上で、このように結論付けられました。
「人間にとって役に立つものだけが大切であり、そうでないものはどうでもいいのです。この考え方のみが、人間を支配しているのです。これが人間を、社会をいびつなものにしてしまいました。」
以上のことから、害虫や益虫というのは、飽くまで人間の都合で判断している見方であることが分かって頂けると思います。
実は私も、今、害虫に悩んでいるところです。 先月の法話で、青梗菜と万願寺とうがらしを育ていると申しましたが、それらにアブラムシが付くようになりました。防虫ネットをしていたにも拘わらずです。殺虫剤で退治しても間に合わず、青梗菜の方は、葉っぱが萎れてしまい、殆ど水気が無くなっている状態です。
やはり、人間の都合の良いようにはいかないと改めて実感しております。アブラムシは私にとっては害虫ですが、アブラムシにとってはただそこに葉っぱがあるから、生きているだけのことです。そこにはからいはありません。
諸行無常(全てのものは変化している)
諸法無我(全てのものに実体はない)
これは、宇宙の真理です。それぞれの命は宇宙に一つしかない存在として、ありのままを生きています。先程のご法話の最後の方で、矢崎節夫さんの言葉を引用しておられます。
「21世紀は、人と人が、人と自然が、人と宇宙がこだまし合い、全てを丸ごと認め合う世紀です」
そうした世の中になることを願わずにはいられません。『御堂さん』は円満寺の本堂にも置いています。是非一度読んでみて下さい。称名。【副住職】