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法話
2022/09/01
9月の法話

〝歳を取る〟

いのちの長さを 問うたもの

〝歳を重ねる〟

いのちの深さを 問うたもの

(真宗仏光寺掲示伝道より)
 門信徒の方との会話の中で「歳は取りたくないものですね。」とよく耳にいたします。歳を取ると、体が思うように動かなくなるからでありましょう。一方で、「ここまで、歳を重ねることが出来て、本当に感謝しています。」という方もおられました。どちらもありのままのお気持ちなのだろうと思います。

 誰しも、歳をとって辛いと思うより、ここまで歳を重ねることが出来たことを喜びたいことでしょう。それでは、どのように考えれば良いのでしょうか。作家の五木寛之さんがある本の中で、「アンチエイジングよりエンジョイエイジング」と書いておられたことを思い出しました。
「老いるということは、確かに無残なことではある。心身ともにおとろえて、見てくれも劣化する一方だ。病気や苦痛も増えてくる。老化、高齢化をおそれる人たちが多いのも無理からぬことだろう。
 しかし、しかしである。ここで若い世代にぜひとも知っておいてほしいことは、老いて楽になることもまた決して少なくないということだ。いや、もっとわかりやすくいえば、老いを重ねるたびに楽になり、生きることがおもしろくなってくることもあるという、事実である。
 たとえば、肉体的には問題だらけであっても、欲望に身を灼(や)くという苦しみは少ない。人生の煩悶や、生きることへの疑問や、競争相手に対する嫉妬の感情なども自然におとろえてくるからだ。(中略)

 年をとる、老化するということは、考えようによっては気楽でなかなかおもしろいことなのだ。老いるということは世間的には自由になっていく過程である。(中略)

 アンチ・エイジングより、エンジョイ・エイジングのほうがいいと思ったりするのは、私だけだろうか。」〔五木寛之(2010), 『遊行の門』 徳間文庫〕

 また、五木寛之さんは、本の最後のほうで、夜、寝る前に、「きょう一日の命を、ありがとうございました」とつぶやく習慣がついてしまったと述べておられます。

 私たちはみな、歳を取っていきます。しかしそれは、きょう一日の命の積み重ねであることを忘れてはならないと思います。最後に妙好人*、浅原才一さんの詩を紹介します。

 ご恩思えばみなご恩 この才一もご恩でできました なむあみだぶつ なむあみだぶつ

 才一さんのように、みなご恩でできましたと頂くことで、いのちの深さを問うことが出来るのではないでしょうか。称名。【副住職】

*妙好人:念仏者をほめ称(たた)えていう語。念仏を信受する人は、人中の白蓮華のように、尊くすぐれているという意。