法話 2023/02/01 2月の掲示板 生き方ばかりで行き先知らず 最近私たちの周りには、様々な生き方を問う自己啓発の本が売られています。 それらの本の表題を見た限りでは、どうしたらお金が手に入るかなど私たちにとって都合の良い「生き方」が書かれているように思います。 しかしながら、「行く先」が分からなければ、仮に都合良く生きることが出来たとしても、命終えて行く時、一体何が残るのでしょうか。 そもそも、只今の命の有り様を見つめた時、私たちは生老病死を離れることは出来ません。自分にとって都合の良い「生き方」を知っても、生老病死の解決にはならないのです。 逆に南無阿弥陀仏の上に私たちの「行く先」が定まっていると聞かせて頂いたとき、今の自分自身の「生き方」が問われてまいります。 私たちは、共にいのち輝く世界を生きています。それはまた、いずれ一つの世界で出会ういのちでもあります。無限のいのちの中で生かされていることに感謝しつつ、今を喜ぶ日ぐらしをさせて頂きましょう。称名。【副住職】 戻る