蟪蛄春秋を識らず、伊虫あに朱陽の節を知らんや
これは、曇鸞大師の書かれた『浄土論註』の中の言葉です。全体の意味としては、「蝉は春や秋を知らない。その虫はどうして夏を知ることがあろうか(いや知ることは出来ない。)」となります。
蝉という生き物は不思議だと思いませんか?幼虫の間、何年間も暗い土の中で過ごします。やがてある年の夏に羽化して二週間ほど、長くても一カ月でその命を終えていきます。蝉は夏になって出てくるのですが、私たち人間がそのことを知っているだけで、蝉は季節が夏であることを知らない訳です。私たち人間からすると、蝉の命は本当に儚(はかな)いと感じることでしょう。しかし一方で、生まれた時から親も無く、光の無い真っ暗な地中で何年もの間、生き延びてきたことを考えますと、蝉は強い生き物であると考えることも出来るように思います。逆に申しますと、私たち人間にとって、親のはたらきも光も無くてはならないものでありましょう。私たちにとって阿弥陀様は「親様」であり、光となって私たちを照らし続けて下さいます。私たちは「親様」である阿弥陀様のご恩によって育てられ、光に照らされることによって、我が身の愚かさを知らされるのであります。
蝉は夏という季節を知ることなく、命を終えていきます。しかし私たち人間もまた、いつ何時この命を終えることになるかは、誰にも分かりません。その意味では、蝉も人間も同じであります。だからこそ阿弥陀様はこの上なく深い慈悲の心をおこされて、今ここに、至り届いて下さいます。蝉の儚(はかな)き命を見つめ、また、私たちの命は只今、阿弥陀様のお慈悲の中に生かされていることに手をあわせて、共々にお念仏申させて頂きましょう。南無阿弥陀仏。【副住職】