掲示板記事詳細

法話
2020/09/20
9月の法話(月かげ)

月かげのいたらぬさとはなけれども

ながむるひとのこころにぞすむ

(法然上人『続千載集』)
 
 9月の3回目の法話は、親鸞聖人が師と仰がれた法然上人の詠まれた歌を頂きました。「月の光の届かないところは一つとしてないが、月はながめる人の心にこそやどる。」という意味になります。しかしながら法然上人は阿弥陀様のみ光を「月かげ」に喩ておられますので、「阿弥陀様のみ光は全ての人々を平等に照らしているが、それを受け止めようとする人にこそ宿る。」と詠まれているのです。
 
 少し余談になりますが、この歌は私の通っていた中学高校の校歌であり、私にとって非常に馴染み深いものがあります。当時は甲子園に出場するような学校で、甲子園の応援の後、試合後にこの校歌が流れると、甲子園が何か厳かな静寂に包まれたことを今でも思い出します。

 ところで、私たちは古来より毎年中秋の名月に、お団子とススキをお月さまにお供えして愛でることで、親しみを感じてきました。そして法然上人もまた月の光に阿弥陀様のお慈悲の心を感じておられたように思います。法然上人は月を通して、阿弥陀様のはたらきを私たちに優しく、易(やさ)しく語りかけて下さいます。法然上人は今までの難しい修行ではなく、ただ「南無阿弥陀仏とお称えする(称名念仏)」という「やさしい」おこないこそがお浄土に生まれるための最も正しい方法であることを初めて証明された方です。これは本当に凄いことなのです。それまでの仏教の常識では、長い間難しい修行をひたすら励み、ようやくさとりに至ることが当然とされていました。一方、称名念仏は誰にでもできる最も劣った修行であると考えられていました。それが法然上人によって覆(くつがえ)されたのです。当時の仏教界の僧侶方は怒り心頭です。早速、朝廷に人々を惑わす念仏を止めさせよと申し出ます。後鳥羽上皇は当初事態を静観されてましたが、ある事件をきっかけにして、逆上され、法然上人のお弟子さん四人を死罪に、法然上人と親鸞聖人も流罪にされてしまいました。(承元の法難)

 例えば、大学受験を受けるとしましょう。今まで一生懸命勉強してきたのに、受験当日になって、受験票を持っている人は全員合格です。おそらく多くの人は今までの苦労は何だったのかと怒りが込み上げてくるのではないでしょうか。でもよく考えてみると、一部の優秀な人が学べる大学よりも、皆が平等に学べる大学の方が優れているとは思いませんか?私たちはどうしても自己中心的に考えてしまいます。今までこれだけ苦労してきたのにと、愚痴をこぼしたくなることもあるでしょう。しかし、苦労を重ねてこられたのは、ご苦労を積んで下さった方のはたらきがあったからではないでしょうか?それは、身近なところではご両親や先生方かもしれません。法然上人はそのことに気付かれ、私たちに「南無阿弥陀仏のお念仏一つですよ。」とお示し下さいました。私が苦労して仏になるのではない。私のためにご苦労を積まれたのは仏様の方であったのだと。そしてその仏様が阿弥陀様であり、阿弥陀様が「私の名を称えてくれよ。その者は必ずお浄土に生まれさせよう。もしそれが出来なければさとりを開きません。」とお誓い下さったのです。「私の名を称えてくれよ」これが阿弥陀様の願いです。その願いの通りにただひたすら南無阿弥陀仏と称えなさいと法然上人はおっしゃるのです。法然上人はお弟子さんを死罪という形で失われ、どれほどお辛い思いをされたことでしょう。十五夜のお月さまを見上げる時、改めて法然上人のご苦労を偲ばせて頂くことであります。(下の写真には承元の法難の様子が描かれています。『御繪傳』文政十年、圓満寺蔵)【副住職】