法話
2023/09/20
9月の法話(お彼岸に因んだ御釈迦様のお言葉)
秋のお彼岸の季節を迎えました。彼岸という表現は御釈迦様のお言葉にも見られます。
「真理が正しく説かれたときに、真理にしたがう人々は、渡りがたい死の領域を超えて、彼岸(かなたのきし)に至るであろう。」(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫22頁)
南無阿弥陀仏の真理はもうすでに『無量寿経』によって、正しく説かれています。私たちにとって真理にしたがうとは、南無阿弥陀仏のおいわれを聞くことです。今、その真理を聞いていますので、彼岸に至ることが南無阿弥陀仏の上に定まっているということです。
また、御釈迦様はこうした表現もなさっています。
「彼岸(かなたのきし)もなく、此岸(こなたのきし)もなく、彼岸・此岸なるものもなく、怖れもなく、束縛もない人―かれをわれはバラモンと呼ぶ。」(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫64頁)
中村元氏によると、ここでバラモンと呼んでいるのは、煩悩を去り、罪悪をなさぬ人を指しているようです。私たちは煩悩具足ですので、バラモンという訳にはいきません。しかし少しでも怖れもなく、束縛もなく生きてゆくにはどうしたら良いのかと考えることは出来るのではないでしょうか。
私たちは知らぬうちに怖れ、束縛されていることに気付くべき時に来ていると思います。もし、怖れや束縛を感じるならば、それらの対象に実体があるのか冷静に見ていく必要があります。
恐れや束縛を離れることは、ある意味、私たち一人一人の思考次第であるということです。そのように考えることが出来れば、彼岸もなく、此岸もない安心の世界が開かれていきます。それは南無阿弥陀仏が我が身に満ち満ちている姿そのものでありました。南無阿弥陀仏は常に、今、ここ、私のおはたらきです。何があっても大丈夫なのです。称名。【副住職】