法話
2023/12/01
12月の掲示板
やりなおしのきかない
誰にもかわって もらうことのできない
今日一日
毎年、年の瀬が近づくと、「今年ももう一年経ちましたか。早いですね。」という会話をよく耳にします。確かに私自身も、自分が幼い頃と比べると、一年が早く感じられます。しかしながら、たとえ一年という単位であっても、結局は一日の積み重ねであるということです。
「それは当たり前のことですね。」と誰もが思います。ところが、「今日というやりなおしのきかない、誰にもかわってもらうことのできない一日を十分に満足して過ごせましたか?」と問われると、如何でしょうか。「今日も十分に満足して、生ききりました。」と言えるでしょうか。
私たちの人生は、選択の連続です。それ故に、それら1つ1つの選択を大切にしなければならないと思います。そのためには、自分が主になって選択しているのか常に自分に問うことが必要です。私たちは様々な要因によって、自分で決められないと思っていますが、全てのことは、自分が選択した結果が現実となるのです。その要因とは、主に誰か偉い人が言ってるからとか、みんながそうしてるからなどの理由が考えられます。
しかし、「今、やりなおしのきかないこの一瞬を生きている。」と分かれば、自分の選択がどれほど重要なことかも分かります。そして、誰にもかわってもらえないということは、自分の選択によって、どのようにも出来るということでもあります。今、私たちは一人一宇宙を生きているのですから。その意味で、「タイムイズマネー(時は金なり)」ではなく、「タイムイズライフ(時は命なり)」と言えるのではないでしょうか。私たちお互いに「お陰様で尊い今日一日を満足して過ごすことが出来ました。有難うございました。」と一日を終えていきたいものですね。称名。【副住職】