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法話
2024/01/20
1月の法話(『今日、誰のために生きる?』)

 まず、初めに、この度の能登半島地震において、被災された方々に対し、心よりお見舞い申し上げます。

 元旦から、このようなことが起き、本当に「あたりまえのありがたさ」を感じずにはおれません。「今、この一瞬」が如何に尊く、大切なことかを改めて知らされたことであります。
 「今、この一瞬」が尊いとはどういうことかということを教えてもらった一冊の本を紹介したいと思います。それは、『今日、誰のために生きる?』という本です。この本の著者の一人がSHOGENさんというペンキ画家をされている方です。ある時、彼は、京都市内の雑貨屋さんで一枚のペンキアートに出遇いました。それは夕焼けを背景にして動物たちが楽しそうに遊んでいる絵でした。「これだ!」と脳天を直撃するような衝撃を受けたとのことです。店主に尋ねると、タンザニアのアートであることが分かりました。彼は、「これだ!これで生きていこう。」と思い立ち、その日のうちに航空券を買って、単身でタンザニアに渡りました。
 
 彼はタンザニアにあるブンジュ村という二百人ほどの小さな村で、画家修業することになりました。本には、その村の村長や村の人々との出会いを通しての思わず「はっ」とさせられる様々な出来事が記されています。例えばこんな出来事です。
 ある時、村長が唐突にSHOGENさんに尋ねます。
「二日前のお昼ご飯、何を食べましたか?」
SHOGENさんは、一瞬言葉につまり、必死に思い返しましたが、答えることが出来ません。
その様子を見て、村長は言いました。
「そうか、SHOGENにとって、食べるということは作業だったんだね。」
「作業?」
「食事が作業になった時に、生活そのものも作業になるから、気をつけたほうがいいよ。」
続けて村長は言いました。
「SHOGEN、二日前のお昼は、うちの家族と一緒に食べていたんだよ。でもSHOGENはそこにはいなかった。」
「うちの孫だって分かっていたよ。SHOGENがあの時、そこにいなかったてことは。おそらくSHOGENは、食べながら次の日のこと、一週間後のことを考えていたんだろうね。」
SHOGENさんは気付きました。その時、その場に自分がいたかどうかというのは、一瞬一瞬、自分の心が今、ここにあったかどうかということを。
「その一瞬一瞬を味わい、感じるということが、生きるということだよ。」
村長はそのように教えてくれたとのことでした。
 皆様は二日前に食べた食事を覚えているでしょうか。私の場合、ごちそうの時は思い出せるのですが、普段の食事は全く思い出せませんでした。振り返ると、確かに食事を頂きながら、別のことを考えていたり、テレビを見ていることもあります。「今、この一瞬」を生きてはいなかったと恥ずかしく思う次第です。
 本では、こうした物語が30話紹介されています。因みに、本のタイトルである『今日、誰のために生きる?』とは、ブンジュ村のあいさつです。朝起きたら、「おはよう、今日は誰のために生きる?俺は自分のために生きるから。」そして寝る時には、「今日も自分の人生を生きられた?今日はどんないいことがあった?」と会話して寝るそうです。
 私たちも、ブンジュ村の人々のように心に余裕をもって、「今」を生きるようにしたいものですね。称名。【副住職】

『今日、誰のために生きる?』 / ひすいこたろう、SHOGEN著 / 廣済堂出版