法話
2024/07/01
7月の掲示板
他人の悪口は ウソでも 面白いが
自分の悪口は ホントでも 腹がたつ
梅雨に入り、鬱陶しいと感じる人もおられるかもしれません。こうした季節になると、他人の悪口や自分の悪口にフォーカスしてしまう場合もあるでしょう。
そもそも悪口とは一体何でしょうか?よく考えてみると、それは他人や自分のものさしによって、善悪を決めているに過ぎないことが分かると思います。善悪は、立場や状況によってころころ変わります。ですから、善悪など私たちには分からないのです。このことは親鸞聖人が「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。」と仰せの通りです。
仏教において「悪口(あっく)」とは、人をののしる言葉のことを言います。一般的に言われている悪口については、どうでも良いので、問題にもされません。
それでは、どうして私たちは悪口が気になるのでしょうか?テレビの報道などを見ていると、「どこで誰かがこんな悪いことをしました。」という内容があまりに多いので、私たちはそうした視点になりがちなのです。しかしながら、「自己こそが自分の主である」と御釈迦様が仰せのように、世間や周りの評価を気にするのではなく、「自分はどうありたいのか」を考えて生きれば良いのではないでしょうか。他人や自分の悪口が気になることがあるかもしれませんが、そればかりで自分を忘れていては、とてももったいない時間の過ごし方のように思います。称名。【副住職】