法話
2024/07/20
7月の法話(蝉の声)
7/20現在、まだ近畿地方は梅雨明けしていないようですが、朝から蝉の声がよく聞こえます。今月の御堂さんの「愚僧のたわごと」のコラムでは、「セミが教えてくれたいのちを紡ぐ心」というタイトルで、蝉の声について次のように書いておられました。
「セミの鳴き声は、今あるいのちを存分に噛みしめて喜ぶ声にも聞こえるし、ひたむきに生き、懸命にいのちを紡ごうとする心の声にも聞こえる。」
申すまでもないことですが、蝉の命は人間からみると、儚く感じます。毎朝、蝉の声で目が覚めて、少しうるさいなと思ってしまう私ですが、聞こえなくなると、もう夏も終わりかと切なくなります。そして残っている宿題を片付けなければと、焦っている少年時代を思い出すこともあります。
ところで、虫の声を声として聞こえるのは、日本人特有のことであると聞いたことがありました。外国の人々は虫の声を騒音としてしか捉えられないようです。それだけ私たち日本人の感覚は繊細で研ぎ澄まされているのだろうと思います。
私たちは、感覚で様々なことを受け取り、意識が生まれます。当たり前のようですが、このことが実は疎かになっていると養老孟司さんはある講演でお話されていました。虫の声を聞くこともまた一つの感覚と言えるでしょう。夏には夏の虫が鳴き、秋には秋の虫が鳴きます。虫の声で季節を感じることは、心に余裕があってこそ出来ることです。たまには、「ぼーっと」して、感覚に生きてみるのも良いのではないでしょうか。称名。【副住職】