法話
2024/08/20
8月の法話(夏の終わり)
今朝、雨がしとしとと降っていました。雨の音を聞きながら、本堂で瞑想していると、「夏の終わり」の切なさを感じます。この季節になると、つい森山直太朗さんの「夏の終わり」を口ずさみたくなるのです。
「途方に暮れたまま 降り止まぬ雨の中 貴方を待っていた 人影のない駅で
夏の終わり 夏の終わりには ただ貴方に会いたくなるの いつかと同じ風吹き抜けるから」
夏の雨と言えば、夕立のような激しい雷雨を思い浮かべますが、今朝のようなしとしとと降る雨は、夏の終わりを感じるものです。雨に因んだ歌詞は、他にも多く存在します。例えば「水のいのち」という合唱組曲の「雨」という曲にはこのような歌詞があります。
「降りしきれ雨よ 降りしきれ すべて 立ちすくむものの上に また 横たわるものの上に
降りしきれ雨よ 降りしきれ すべて 許し合うものの上に また 許し合えぬものの上に」
雨は、私たちのように分別することはありません。すべてに分け隔てすることなく、降り注ぎます。お経様の中には、「法雨(ほうう)」という言葉があります。これは、阿弥陀様の分け隔てのないお慈悲をこうした雨の性質に喩えられたものです。
夏の終わりに亡き人を思い、「ただ貴方に会いたくなる」と感じることもあるでしょう。そんな時、雨のように阿弥陀様のお慈悲が今、ここに降り注いで下さっていることを思い、お念仏申してみては如何でしょうか。称名。【副住職】