法話
2020/10/20
10月の法話(ハロウィーンに因んで)
念仏者は、何ものにもさまたげられないただひとすじの道を歩むものです。それはなぜかというと、本願を信じて念仏する人には、あらゆる神々が敬ってひれ伏し、悪魔も、よこしまな教えを信ずるものも、その歩みをさまたげることはないからです。 『歎異抄』第七条(『歎異抄現代語版』13頁、本願寺出版)
ここ10年くらいでしょうか。10月に入ると、ハロウィーンを意識した飾りやイベントが多くなってきているように思います。近くにあるUSJでも、毎年ハロウィーンに因んだイベントが開催されているようで、映画のキャラクターなどに仮装した若者をよく見かけます。ところで、ハロウィーンは元来、古代ケルト人によるお祭りで、10月31日は、ケルト暦の大晦日にあたり、死者が帰ってくると信じられていたそうです。その時に悪霊もやってくるため、火を焚いて遠ざけ、また収穫を感謝して、収穫物や生贄を捧げたことが起源とのことです。
古来より人々は、悪霊を恐れてきました。現代でも悪霊退散のためのお祓いが行われています。今年は新型コロナウイルス流行の影響で、疫病退散の御利益があるとされる妖怪「アマビエ」が話題にもなりました。目に見えない災難を悪霊の仕業と考えるのはある意味、仕方のないことかもしれません。しかしながら、それでは何の解決にもならないことは自明のことです。仏教では縁起を説きます。全ての物事は因と縁によって成り立っています。ところが私たちにとって都合の悪い出来事が起こると、他に責任転嫁してしまいます。そして神頼みをします。これは私たちの心が生み出していることなのです。
ご本願は、私たちを救わずにはいられないという阿弥陀様の願いです。阿弥陀様は弱い心で右往左往している私たちの姿をご覧になり、救わずにはいられないとこの上ない願いを起こされたのです。その本願を信じて、念仏する人はどんな悪霊にも惑わされることはありません。そして、あらゆる神々はその人を敬い、ひれ伏します。その人はもうすでに真実の教えに出遇っているのですから。称名。【副住職】