法話
2024/11/10
絵本法話〜もうじきたべられるぼく〜
《あらすじ》
産まれたての時は母牛と過ごした仔牛ですが、食用のためにすぐに別々に。もうすぐ殺されることが分かり、母牛に会いに行きますが、会っても悲しませるかもしれないと会わずに帰ろうとします。それに気づいた母牛は追いかけますが…。
とある小学校で保護者の方が、
「うちは給食費払ってるんだから、子どもに[いただきます]なんて言わせないで下さい」
と言ったそうです。
言われた小学校の教諭の対応はというと、配膳された給食を前に[いただきます]と手を合わせることなく笛を吹いて一斉に食べるようにした!という実際のお話があります。
材料費、人件費等に対しての給食費。それも国や自治体から補助も受けていただく給食です。しかし、手間賃等に対価は払っても動物や植物等のいのちに対して私たちは何も出来ていません。いのちを奪ってしか生きられない私たちは、せめて、いのちに対してお礼を言わなければ申し訳ないのです。
「あなたのいのちを私のいのちに変えさせていただきます。あなたのいのち、決して無駄にはしません。ありがとうございます」と。
その意味が込められたのが手を合わせて『いただきます』なのです。
動物たちにも家族がいます。家族が襲われれば、殺されれば悲しいのです辛いのです。仏教には六道輪廻という考えがあります。そのため、人も動物も皆兄弟のように大切に、と考えます。
食欲の秋、ペットだけでなく、魚や牛豚鶏等のいのちについても改めて考えたいものです。
この本を読んで、すぐに思い出したのが
金子みすゞさんの詩
「おさかな」
海の魚はかわいそう。
お米は人につくられる、
牛は牧場で飼われてる、
鯉もお池で麩を貰う。
けれども海のおさかなは、
なんにも世話にならないし、
いたずら一つしないのに、
こうして私にたべられる。
ほんとに魚はかわいそう。
小学生の時に聞いて衝撃を受けた詩です。
私たちは大切なかけがえのない命をどれだけいただいてきたのでしょうか?
いただいた以上は自分を大切に、大事に生きていかなきゃいけませんね。
『もうじきたべられるぼく』
作/はせがわゆうじ
発行所/中央公論新社
是非手にとって読んでいただきたい一冊です。【若坊守】