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法話
2020/11/01
11月の法話

他人と過去は変えられないが

自分と未来は変えられる

(東京築地本願寺の掲示伝道より)

 今月はカナダの心理学者エリック・バーンの言葉です。至極当然のことを言っているようですが、私事として受け止めることは難しいのではないでしょうか?その意味では私たちにとって厳しい言葉のように聞こえます。
 私たちは一方通行の時間の流れの中で「今」を生きています。「過去」が存在するのは私たちの心の中です。時として私たちは「過去」に縛られることがあります。「あの時こうしておけば良かった」という「後悔」です。「後悔」は仏教において、怒りの一つと考えられています。

 また、私たちは様々な「他人」との関係の中を生きています。私たちにとって「他人」が好ましい存在の場合、喜びや幸せを感じますが、「他人」が嫌な存在の場合、「激怒」、「怨み」、「軽視」、「張り合い」、「嫉妬」、「物惜しみ」、「反抗心」、「異常な怒り」といった感情が生まれます。「根源的な怒り」を含めたこれら十種類は全て怒りに含まれます。お釈迦様は私たちの心を深く観察されました。そして、私たちの心を支配しているものが「欲」「怒り」「無知」であることを発見されました。その一つである「怒り」は、実に様々な感情を生み出していることが分かります。その根底にあるのは、「無常」(全ての物事は常に変化している)ということです。それゆえ、好ましい存在の「他人」であつても、状況が変われば嫌な存在に変わってしまうこともあるのです。そのような私たちの姿を「凡夫」と呼びます。私たちは他人や過去は変えられないことを概念として理解していても、ありのままに受け入れることは非常に難しいものです。親鸞聖人は『一念多念証文』という書物の中で次のように言われています。

「凡夫」というのは*無明煩悩が満ち満ちており、欲望も多く、怒り、腹立ち、そねみやねたみの心ばかりが絶え間なく起こり、命終わるその時まで、止まることも、消えることも、絶えることもないと*水火二河の喩えに示されている通りである。(『一念多念証文現代語版』37頁、本願寺出版)
*無明:真理に暗く、もののあるがままの有り様を明らかに理解出来ない、最も根本的な煩悩。迷いの根源。
*水火二河の喩え:水の河は私たちの「貪欲(とんよく)」を、火の河は私たちの「瞋恚(しんに)」(怒り)を表しており、ニ河の間に幅四、五寸ほどの一筋の白道がある。

 これが変えられない他人や過去に縛られている私たちのありのままの姿なのです。
 それでは、自分と未来はどのように変えられるのでしょうか?『一念多念証文』には続けて次のように示されています。

このような嘆かわしい私どもも、二河にはさまれた一筋の白道を阿弥陀様の本願のはたらきによって一歩二歩と少しずつ歩いていくなら、阿弥陀様が摂(おさ)め取って下さるから、必ず浄土に往生することができる。

 白道を一歩二歩と歩んでいるのは、一年二年と過ぎていくことを喩えたものです。自分一人では歩むことの難しい未来であっても、阿弥陀様の本願のはたらきを支えとして一歩ずつ歩むことで、自分も未来も変えられる(転ぜられていく)道が開かれてゆきます。称名。【副住職】