法話
2025/05/01
5月の掲示板
本当の正義の味方は
戦うより先に
飢える子どもに
パンを分け与えて
助ける人だろう
やなせたかし
今月の掲示板は、『それいけ!アンパンマン』の作者、やなせたかしさんの言葉です。今、NHKの連続テレビ小説では『あんぱん』が放送されていますが、先月の『御堂さん』にも、「想いをカタチに」という特集の中で、アンパンマンのことが紹介されていました。その記事を読んで、私のアンパンマンに対する偏見が取り除かれました。私はどうしていつもばいきんまんは悪者で、いつもアンパンマンにやっつけられてしまうのかということに疑問を持っていたのです。記事にはこのように書かれていました。
「やなせたかし先生は、明確に、「正義の味方 アンパンマン」とは言っていないんです。悪を滅ぼすのではなく、困っている人を助けることこそが、アンパンマンの正義なのですから。ばいきんまんにしても、悪いやつだけれども、排斥はせず、ずっと一緒にいるわけでしょ。(中略)「アンパンマンとばいきんまんが手を取り合えないのは、手をつなぐと、ばい菌のせいで、パンが腐っちゃうからなんだよね。(笑)」と先生はおっしゃっていました。」
アンパンマンは元気のない人を助ける時、自分の頭を差し出して、食べてもらいます。一見するとこれは、自己犠牲のように思われますが、そうではないと思います。仏教では「布施(ふせ)」という行があり、その中で無財の七施*と呼ばれているものがあります。それらはどれも心が満たされていないと出来ないことです。例えば、相手にいくら優しい眼差し、言葉などを投げかけようとしても、心が満たされていなければ、表面上の行いになってしまいます。「布施」を自己犠牲のように考えているならば、それは誤解です。
アンパンマンも顔がまん丸の時は元気いっぱいですが、半分以上食べられると、すっかり元気を失ってしまいます。アンパンマンにとってはジャムおじさんが新しい顔に交換してくれるお蔭で、いつも元気でいられるのです。私たちも「布施」をしたいと思うのであれば、まず心を満たして、ご機嫌さんになる必要があります。それだけ人を助けることは難しいとも言えるでしょう。その意味では、本当の正義の味方は阿弥陀如来であって、私たちはそのお慈悲に満たされた慶びを形にさせて頂くことが「報恩行(ほうおんぎょう)」と頂くことが出来るのではないでしょうか。称名。【副住職】
*無財の七施:眼施(げんせ)、和顔悦色施(わげんえつじきせ)、言辞施(ごんじせ)、身施(しんせ)、心施(しんせ)、床座施(しょうざせ)、房舎施(ぼうしゃせ)の七つ。