法話
2025/05/20
5月の法話(「御堂さん5月号」)
今月の御堂さんに、「座談会 聖徳太子の「和」に学ぶ~いまこそ『十七条憲法』」という特集が掲載されていました。記事では、三人の方が『十七条憲法』に対するそれぞれの想いや考えを述べられた上で、「『十七条憲法』をもう一度見直して、みんなの心の支えとしていくと、また日本という国がまとまりそうな気がする。聖徳太子が大切にされたことは、お互いに敬い合って、仲良くして物事を進めていくことであり、それが和の心だと思う。」という結論に至っていました。
明日5月21日は親鸞聖人のお誕生日ですが、聖徳太子は、親鸞聖人が「和国(わこく)の教主(きょうしゅ)」と仰がれたお方です。『正像末和讃(しょうぞうまつわさん)』の聖徳奉讃のご和讃に、
和国の教主 聖徳皇(しょうとくおう)
広大恩徳(こうだいおんどく)謝しがたし
一心に帰命(きみょう)したてまつり
奉讃不退(ほうさんふたい)ならしめよ
とあります。親鸞聖人も、聖徳太子を日本仏教の始祖とみられて、「そのご恩の広く大きいことは感謝してもしきれるものではない。心を一つにして、お敬いし、怠ることなく、仰ぎ讃えたてまつるべきです。」と讃えておられるのです。
『十七条憲法』には、聖徳太子が大切にされた「和」の精神が貫かれています。和の社会を目指すためには、一人一人が尊重される必要があります。「あなたはわたし。わたしはあなた。生きとし生けるものはすべて同じ存在である」この考えが根底にあります。その意味で、『十七条憲法』には、上下と表現している箇所がありますが、本来上も下もないのです。あるのは、それぞれのつとめがあるだけです。そしてその目的は、全て自分で決めることができます。そのことは御釈迦様が仰せであります。
「たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめを捨て去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。」
和を大切にするということは、まず自分の目的を知ることです。そして一人一人がつとめに専念する(表現する)ことで、お互いに個性豊かなハーモニー(和)が奏でられるように思います。私たちにとって、最も大切である「和」の精神を再び見直すためにも、親鸞聖人が仰がれたように、聖徳太子のお心に返っていく必要が今、求められているのではないでしょうか。称名。【副住職】