法話
2025/07/01
7月の掲示板
眼前の 小さな しあわせは 見えても
背後の 大きな おかげさまが 見えない
私たちにとって、「眼前の小さなしあわせ」とは何でしょうか。それはお食事を頂く時かもしれません。或いは、家族と過ごす時間かもしれません。それらの「小さなしあわせ」は、どうして「しあわせ」と感じることが出来るのでしょうか。
先月、お参りに伺った時、あるご門徒の方がこのようなお話をされました。その方は、普段、マンションでお一人で住んでおられます。
「私は、マンションの掃除をして頂いている方にいつも挨拶とお礼を言っています。」
「すると、その方も私のことをよく覚えていてくれて、色々と声をかけてくれます。」
「エレベーターで会っても、スマホばかり見て挨拶をしない人もいます。一言の挨拶、私は大事だと思います。」
私たちが「小さなしあわせ」を感じることが出来るのは、「身近なおかげさま」によるものです。「身近なおかげさま」に気が付くことで、感謝の心が生まれます。そして「大きなおかげさま」を意識することが出来ます。「大きなおかげさま」とは、私たちの目には見えない限りないご恩のことです。以前にも紹介しましたが、お食事を頂く際に、食前のことば、食後のことばを言うだけでも、「大きなおかげさま」の中を生かされていることへの感謝の心を表すことが出来ます。背後にある大きなおかげさまが見えないからこそ、感謝の心を声に出すことが大切なのではないでしょうか。称名。【副住職】