法話
2025/09/01
9月の掲示板
本当のものがわからないと
本当でないものを 本当にする
(安田 理深)
今月の掲示板は安田理深先生の言葉ですが、御釈迦様が同じことを『ダンマパダ』の中で仰せであります。
「まことではないものを、まことであるとみなし、まことであるものを、まことではないと見なす人々は、あやまった思いにとらわれて、ついに真実に達しない」
「まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いにしたがって、ついにまことに達する」(『ブッダの真理のことば感興のことば』岩波文庫 11頁)
それでは、まことではないものとまことであるものとは、一体なんでしょうか。それについて、聖徳太子が端的にこう仰いました。「世間虚仮・唯仏是真」「世間は、まことではない。ただ仏のみがまことである」
世間で大切とされるものとして、地位・名誉、お金が挙げられるでしょう。しかしそれらによって、私たちは自己を見失ってしまいます。一方で仏のみがまことです。仏様のはたらきとしては、智慧と慈悲ですが、私たちにとっては、南無阿弥陀仏のお念仏になります。まことではない世間の価値観に縛られ、自己を見失ったとしても、まことのお念仏が今、ここに満ち満ちています。
私たちは有難いことに、本当のものが分かるというよりも、本当のもの(お念仏)を聞き、喜ばせて頂くご縁に出遇うことが出来ました。最後は、親鸞聖人の有名な『歎異抄』の中のお言葉を頂きたいと思います。
「わたしどもはあらゆる煩悩をそなえた凡夫であり、この世は燃えさかる家のようにたちまちに移り変わる世界であって、すべてはむなしくいつわりで、真実といえるものは何一つない。その中にあって、ただ念仏だけが真実なのである。」
称名。【副住職】