掲示板記事詳細

法話
2025/10/01
10月の掲示板

当てが 外れた

不満の中に 見えてきた

当てに していた

当てに ならない私
 私たちが当てにしているものとは何でしょうか?それは、健康かもしれません。家族かもしれません。お金や地位かもしれません。何故それらを当てにしてしまうのでしょうか?私たちはそれらに実体があると思っている(思わされている)からです。諸法無我と言われるように、何も実体がないので、当てにはなりません。当てにならないものを当てにしているから、不満が生まれ、「私」も当てにならないと思ってしまいます。
 私の青春時代に流行った曲にMr.Childrenの「【es】~Theme of es~」という歌があります。

「栄冠も成功も地位も名誉も たいしてさ意味ないじゃん 
今ここにいる自分を きっと誰もが信じてたいのさ 過ぎた日々に別れ告げて 君は歩き出す
何が起きても変じゃない そんな時代さ覚悟はできてる よろこびに触れたくて明日へ 僕を走らせてくれ
僕の中にある「es」 」

「es」とは、心理学用語で「本能的、衝動的欲求」を意味するそうです。本能的と聞くと、理性が無く、煩悩のおもむくままと思われますが、本当は、「純粋に自分は何を求めているのか」という心の有様のように思います。
今、私たちが生きている時代は、この歌詞の通りだと思います。「何が起きても変じゃない」戦争ビジネス、医療ビジネス、混沌とした「命濁(みょうじょく)」の真っ只中でありましょう。なにも当てにならないと不満を叫びたくなってしまいます。そうした時代だからこそ、「当てにならない私」と嘆くよりも、その私に今、南無阿弥陀仏が届き、満ち満ちていることを慶び、満ち満ちた心に素直に生きていく「覚悟」が必要なのではないでしょうか。称名。【副住職】