掲示板記事詳細

法話
2025/12/20
12月の法話(確かなものは 今もはたらいている 如来の本願力)

 今月は真宗協和会カレンダーの12月のことばをタイトルに頂きました。ご門徒のお参りに伺うと、皆さん、真宗協和会のカレンダーを掛けておられます。来年は、山陰教区の妙好人のことばのカレンダーですので、今年でこのカレンダーを見るのも最後かなと思い、法話をさせて頂きます。
 確かなものは、今、ここにはたらいている如来の本願力です。如来の本願力とは、真如より来る(阿弥陀様)のエネルギーそのものです。そのエネルギーがはたらいているからこそ、今、ここに生きることが出来ます。確かなものは私の心に満ち満ちているのであって、他にはないということです。ところが、私たちは他を確かなものとしていることが多いように思います。それは、お金や地位かもしれません。あるいは、専門家や先生と言われる人の言ったことかもしれません。お金はエネルギーではありますが、それ自体に実体はありません。地位もまた同じです。「先生の言われることに従いましょう。」と学校では、教えられるかもしれませんが、従った結果は自分が引き受けなければならないのです。ですからいずれにしても、「自己こそが自分の主」であるということです。自分が違うと思えば従う必要はありません。自分という言葉に抵抗があるのでしたら、自分の中に満ち満ちた阿弥陀様にお尋ねすると言い換えることが出来ます。
 最近、CMで耳にする今井美樹さんの「Piece of my wish」という歌があります。

雨に負けない気持ちを 炎もくぐりぬける そんな強さ持ち続けたい
それでもいつかすべてが 崩れそうになっても 信じていて欲しい あなたのことを

 私たちはなかなか炎も潜り抜ける強さを持てないですが、たとえ大千世界に満ちた火をも過ぎゆきても、今、ここに満ち満ちている確かな本願力(エネルギー)がはたらいています。全てが崩れそうになっても、今、ここに本願力がはたらいているので、何があっても大丈夫です。だからこそ、私たちは自己が主であって、自分を信じることが出来るのです。称名。【副住職】