原文
宗旨送り手形之事
一浄土宗拙寺旦中當津佐比江新地魚屋
茂兵衛同家人熊七拾壱才ニ相成 此者代々
浄土宗ニ而切支丹者不及申ニ 轉ニ而も無之候 然ル所
此度貴寺旦那下福嶌村佃屋藤兵衛かしや
江戸屋秀太郎方へ引越参り度旨願出
任其意拙寺宗帳相除人別送り遣候間
自今以後貴寺宗帳ニ御加へ御支配可
被成遣候 為後照人別送り證札 仍而如件
摂州兵庫西大路町
雲上院
嘉永六丑年九月廿三日
大坂藤野田村
圓萬寺
書き下し文
宗旨送り手形の事
一浄土宗拙寺旦中当津佐比江新地魚屋
茂兵衛同家人熊七十一才に相成り この者代々
浄土宗にて切支丹は申すに及ばず 轉にてもこれ無く候 然る所
此度貴寺旦那下福嶌村佃屋藤兵衛かしや
江戸屋秀太郎方へ引越参り度旨願い出
其意に任せ拙寺宗帳相除き人別送り遣わし候間
自今以後貴寺宗帳に御加へ御支配成
さるべく遣わし候 後照の為人別送り仍って件の如し
摂州兵庫西大路町
雲上院
嘉永六丑年九月廿三日
大坂藤野田村
圓萬寺
解説
浄土宗雲上院の檀家魚屋茂兵衛の同家人・熊七(11才)が
拙寺檀家下福島村の江戸屋秀太郎宅へ引っ越す時に送られた送り状である。
拙寺へ送られた人別状の送付寺院を宗派別に調べてみると、浄土真宗と浄土宗が
圧倒的に多い。禅宗が最少であり、やはり武士の身分との婚姻等が無い事が要因だろう。
移動範囲は東は江戸西は長崎県(平戸)の広範囲だが、大多数は近畿圏である。