掲示板記事詳細

古文書
2022/01/05
藤野田村記載宗門人別送り状(その ⑰ )

原文

    宗旨人別送り手形之事
一摂州川邊郡虫生村利右衛門忰
  萬助与申者 宗旨者代々浄土真宗拙寺
  壇那ニ紛無御座候 然ル處今般九條
  本田灘屋善三郎借屋ニ住居致候多田屋
  萬助宗旨人別送之儀願出候故 任其意
  宗旨人別送差出 拙寺宗帳相除
  候間 向後ハ貴院宗旨ニ御加入
  可被成下候 為後日人別送り仍而如件
     
    文久三年    摂州川邊郡
        亥三月 赤松村
                  高原寺

  同国藤野田
      圓満寺殿

書き下し文

    宗旨人別送り手形の事
一摂州川辺郡虫生村利右衛門忰
  萬助と申す者 宗旨は代々浄土真宗拙寺
  壇那に紛れ無く御座候 然る処今般九條
  本田灘屋善三郎借屋に住居致し候多田屋
  萬助宗旨人別送の儀願い出候故 其意に任せ
  宗旨人別送り差し出し 拙寺宗帳相除き
  候間 向後は貴院宗旨に御加入
  成下さるべく候 後日の為人別送り仍って件の如し
     
    文久三年    摂州川辺郡
      亥三月 赤松村
                  高原寺

  同国藤野田
      圓満寺殿

解説

文久3(1863)年3月摂州川辺郡赤松村の高原寺から圓満寺へ送付された送り状です。
萬助は九條村本田へ住居を構え何か商売でも始めようとしたのでしょうか。
高原寺から送られた書状ではなく萬助(多田屋萬助)本人が引っ越しの時拙寺へ持参
したものと思われます。
高原寺は現在川西市赤松字北谷にあります。拙寺と同じ浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。