原文
宗旨送り一札之事
一播州明石郡大蔵谷村長兵衛當亥年
六十八歳ニ相成候者宗旨之義ハ先祖ゟ
代々浄土真宗ニ而則拙寺担那紛無御座候
此度摂州西成郡藤野田村井筒屋源四良
貸家借受引越度段願出候ニ付任其意
宗旨人別差出し申候拙寺宗帳相除
申候間以来其御坊宗帳へ御加入可
被成候彼者義御法度之切支丹
宗門ニ而者一切無之候為後日之宗旨人別
送り一札依而如件
播州明石郡
文久三亥年 大蔵谷村
二月 西林寺
摂州西成郡藤野田村
御坊
圓満寺殿
書き下し文
宗旨送り一札の事
一播州明石郡大蔵谷村長兵衛当亥年
六十八歳に相成り候者 宗旨の義は先祖より
代々浄土真宗にて則拙寺担那紛れ無く御座候
此度摂州西成郡藤野田村井筒屋源四良
貸家借り受け引越度段願い出候に付 其意に任せ
宗旨人別差出し申し候 拙寺宗帳相除き
申し候間 以来其御坊宗帳へ御加入
成さるべく候 彼の者義御法度の切支丹
宗門にては一切これ無く候 後日の為宗旨人別
送り一札依って件の如し
播州明石郡
文久三亥年 大蔵谷村
二月 西林寺
摂州西成郡藤野田村
御坊
圓満寺殿
解説
1863(文久3)年2月播州明石郡(兵庫県明石市)大蔵谷村の西林寺より拙寺へ送られた人別送り状です。
西林寺檀家長兵衛(68歳)が拙寺檀家藤野田村の井筒屋源四良の貸家へ引っ越すので、拙寺檀家へ加入を願い出るとの送り状です。
この年3月には尊皇攘夷運動の高まりの中14代将軍家茂が将軍として230年ぶりに上洛します。朝廷と幕府との公武合体が計画されるのもこの頃です。長州藩の下関外国船砲撃事件や薩摩藩のイギリスとの薩英戦争が勃発し世の中の混乱に拍車をかけたのもこの頃です。
世情は明治維新へ向けて混沌として流れていくのです。しかし庶民は世の流れにかかわらず引っ越しや婚姻、生活のための養子養女、転職等のため人別送り状が不可欠だったのです。