原文
宗旨人別寺送り一札
一河州茨田郡今津村伊助義者先祖
代々浄土真宗當寺旦那ニ紛無之
候然ル處先年貴寺旦那七右衛門方ゟ
右伊助方へと子と申もの同家ニ罷越
當未六十五才ニ相成候處此度貴寺
旦家七右衛門方へ引越度旨願出ニ付
任其意當寺宗旨人別相除候間以来
其寺宗帳ニ御加入可被成遣候明白宗旨
人別寺送り一札依而如件
安政六未年 河州茨田郡今津村
九月 圓通寺
藤野田村
圓満寺殿
書き下し文
宗旨人別寺送り一札
一河州茨田郡今津村伊助義は 先祖
代々浄土真宗当寺旦那に紛れ無くの
候 然る処先年貴寺旦那七右衛門方より
右伊助方へとねと申すもの同家に罷り越し
当未六十五才に相成り候処この度貴寺
旦家七右衛門方へ引越度旨願出に付
其の意に任せ当寺宗旨人別相除き候間 以来
其寺宗帳に御加入成し遣わすべく候 明白宗旨
人別寺送り一札依って件の如し
安政六未年 河州茨田郡今津村
九月 圓通寺
藤野田村
圓満寺殿
解説
1859(安政6)年9月に河州茨田郡今津村(現在の大阪市鶴見区)圓通寺から送付された
人別送り状です。
圓通寺檀家の伊助宅に同居していた「とね」65歳)が圓満寺檀家の七右衛門宅へ引っ越す際に
送付されました。
「とね」は65歳という高齢での引っ越しです。何かよほどの理由があったのかもしれません。
七右衛門との関係がよくわかりませんが縁戚なのでしょうか。
この頃安政の大獄で吉田松陰らが処刑され、井伊直弼への反発が強まり翌年の桜田門
外の変へとつながってゆきます。