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古文書
2022/08/06
藤野田村記載宗門人別送り状(その㉔)

原文

         宗旨送り一札之事
一              當村百性又兵衛
                忰      又助
                〆壱人
 右之者宗旨者代々浄土真宗ニ而拙寺
 壇那紛無之候然ル処此度大坂下福嶋村
 虎屋伊三郎貸家廣島屋清吉方江
 養子ニ罷越候ニ付送之儀願出任其意宗旨
 人別差出申候以来拙寺宗帳相除申候間
 貴寺御宗帳ヘ御加入可被成候為後日之
 宗旨人別送り一札依而如件
             藝州
             倉橋島室尾
                 妙行寺
 慶應二寅年
     八月

   摂州西成郡藤野田村
      御坊
        圓満寺殿
 
               
               

書き下し文

         宗旨送り一札の事
一                 當村百性又兵衛
                   忰      又助
                   〆一人
 右の者宗旨は代々浄土真宗にて拙寺
 壇那紛れ無くの候 然る処此度大坂下福嶋村
 虎屋伊三郎貸家廣島屋清吉方へ
 養子に罷り越し候に付 送りの儀願出其の意に任せ宗旨
 人別差出申候 以来拙寺宗帳相除き申候間
 貴寺御宗帳ヘ御加入成さるべく候 後日の為
 宗旨人別送り一札依って件の如し
             芸州
             倉橋島室尾
                 妙行寺
 慶応二寅年
     八月

   摂州西成郡藤野田村
      御坊
        圓満寺殿
 
               
               

解説

1866(慶応)8月倉橋島(広島県)の室尾の妙行寺檀家又兵衛
の忰又助が、拙寺檀家下福嶋村廣島屋清吉方ヘ養子に迎えられ
た時持参した送り状です。
廣島屋清吉という方は送り状にしばしば登場します。おそらく倉橋島
から大阪へ出て何らかの商売をされていたかと思います。
御自身の出身地から養子を迎えられたのでしょう。
瀬戸内海を通じた海運でのつながりも感じられます。
妙行寺から拙寺への送り状は十数通あります。
江戸末期当地と倉橋島とのつながりを証明する貴重な史料です。