原文
寺送り一札
一河州若江郡川俣村市右衛門姉きのと申者
宗旨者代々浄土真宗拙寺旦那ニ紛無
御座候切支丹之義者不及申
御公儀御法度之邪宗門ニても無之候然ル処
今般御元旦家上福嶋村知助方江致縁付候
依之拙寺宗以来除帳可申候へ者御元旦家
御加入可被成候為其送り一札如件
東本願寺末派
摂州東成郡中川村
光国寺
天保四年巳二月
藤野田村
圓満寺
書き下し文
寺送り一札
一河州若江郡川俣村市右衛門姉きのと申す者
宗旨は代々浄土真宗拙寺旦那に紛れ無く
御座候 切支丹の義は申すに及ばず
御公儀御法度の邪宗門にても之無く候 然る処
今般御元旦家上福嶋村知助方へ縁付致し候
之に依って拙寺宗以来除帳申すべく候へば 御元旦家
御加入成さるべく候 其送りの為一札件の如し
東本願寺末派
摂州東成郡中川村
光国寺
天保四年巳二月
藤野田村
圓満寺
解説
1833(天保4)年に河州(河内国)川俣村の市右衛門の姉きのが
拙寺檀家上福嶋村の知助方ヘ嫁入りする時持参した送り状です。
この年は全国的な凶作で米価が高騰し、各地で打ち壊しや暴動が
発生していました。4年後の1837(天保8)年には大塩平八郎の乱が
大阪で勃発します。
幕末に向けて様々な勢力が動き始める時代です。
なお、光国寺は大阪市東成区に現存する浄土真宗大谷(東本願寺)派
寺院です。