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古文書
2024/05/15
往来手形②

原文

           覚
浄土真宗     能登国珠洲郡白丸村川端弟
 一壱人                   仁右衛門
 右者拙寺旦那二紛無御座候然處今般
 京都本願寺江参詣二罷越候二付若於道中
 相煩致病死候ハゝ其所御法之通御葬被下候様
 仕度御座候尤後日此方江及御案内不申候為其
 寺證文一札如斯二御座候以上
              同国同郡松波村
  享和四年正月日         松岡寺
      国々所々
         御寺庵衆中
      同
         御役人衆中

書き下し文

          覚
浄土真宗     能登国珠洲郡白丸村川端弟
 一壱人                   仁右衛門
 右は拙寺旦那に紛れ無く御座候 然る所今般
 京都本願寺へ参詣に罷りし候に付 もし道中に於いて
 相煩い病死致し候はば其所御法の通り御葬り下され候様
 仕り度御座候 尤も後日此方へ御案内及び申さず候 其
 寺證文一札の為如斯に御座候以上
              同国同郡松波村
  享和四年正月日         松岡寺
      国々所々
         御寺庵衆中
      同
         御役人衆中

解説

1804(享和4)年1月に松岡寺より出された往来手形です。本願寺参詣を目的にしたいわゆる寺社参詣往来手形です。浄土真宗の門徒にとって本願寺参詣は生涯に一度といえる大きな旅でした。徒歩で京都本願寺と能登を往復したのです。日数を費やし金銭面でも大変な出費だったことでしょう。よほどの信仰心がなければ出来ないことです。
松岡寺は現在石川県鳳至郡松波町にある蓮如上人ゆかりの寺院です。この度の能登半島地震で大きな被害を被った地域にあります。 北陸は浄土真宗の金城湯池です。石川富山福井の北陸三県には数多くの真宗寺院が存在しています。