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古文書
2020/10/02
藤野田村記載宗門人別送り状(その②)

原文

    宗旨送り一札之事
一備後国福山領沼隅(隈)郡田島村
 百性(姓)長左衛門娘もん〆壱人
 右之者代々浄土真宗拙寺旦那ニ
 紛無御座候然ル處此度者
 福嶋村八百屋利右衛門方へ縁付
 致シ候間拙寺宗門帳相除
 此巳後者貴寺様御帳面耳
 御加入成可被下候為後日之送り
 一札仍而如件
     備後国福山領沼隅(隈)郡田島村
 文政四年               善正寺
   巳八月
  藤野田村
   圓満寺様

書き下し文

    宗旨送り一札之事
一備後国福山領沼隅(隈)郡田島村
 百性(姓)長左衛門娘もん〆壱人
 右の者代々浄土真宗拙寺旦那に
 紛れ無く御座候 然るところ此度は
 福嶋村八百屋利右衛門方へ縁付
 致し候間 拙寺宗門帳相除き
 これ巳後は貴寺様御帳面に
 御加入成しくださるべく候 後日の為送り
 一札よって件の如し
     備後国福山領沼隅(隈)郡田島村
 文政四年               善正寺
   巳八月
  藤野田村
   圓満寺様

解説

文政四年(1821)八月に善正寺檀家の備後国福山領沼隈郡田
島村の百姓長左衛門の娘もんが拙寺檀家福嶋村八百屋利右衛門
に嫁ぐ時に作成された人別送り状である。
江戸時代はキリシタンの取り締まりを目的として寺請制度が作られ、必
ずどこかの寺院の檀家であることが義務付けられた。そのため移動を伴う
場合は、必ず当該寺院から移動先の寺院へ人別送り状が送付された。
移動とは、婚姻・養子養女・年季奉公・転宅等々である。
この書状は婚姻により「もん」が圓満寺檀家に加入する証明となる文書
である。
おそらく「もん」本人が嫁入りの時拙寺へ持参したのであろう。
藤野田は現在の広島県にまで知られていたのである。なお、善正寺は広
島県沼隈郡内海町に現存している。