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古文書
2024/07/15
往来手形④

原文

       覚
一筑前国法弁郡小生村
           醫師
            泰岳
右之者代々浄土真宗當寺壇那ニ紛
無御座候然ル處今般為諸国巡拝罷出
申候間諸国所々
御関所無相違御通可被下候若又万一
右之者於何国何方致死去候共此許江
御届ヶ二及不申其御處之御作法之通り
御取計可被下候為後日宗旨往来一札
依而如件
  弘化四年      同国同郡伊津賀
   未九月             明称寺
 
  諸国
   所々
    御役人衆中

書き下し文

         覚
一筑前国法弁郡小生村
           醫師
            泰岳
右の者代々浄土真宗当寺壇那に紛れ
無く御座候 然る処今般諸国巡拝の為罷り出
申候間 諸国所々
御関所相違無く御通下さるべく候 若し又万一
右の者何国何方に於いて死去致し候共 此許へ
御届けに及申さず 其の御処の御作法の通り
御取計らい下さるべく候 後日の為宗旨往来一札
依って件の如し
  弘化四年      同国同郡伊津賀
   未九月             明称寺
 
  諸国
   所々
    御役人衆中

解説

筑前国(現在の福岡県)法弁郡小生村の医師泰岳が諸国巡拝の為壇那寺の明称寺から受け取った
往来手形です。1847(弘化4)年9月に発行されています。
どこの土地で亡くなっても、壇那寺へは伝えず、その土地の作法に従って葬ってほしいと記されています。
壇那寺・明称寺は現存していないようです。遠く九州から大阪まで諸国巡拝のために足をのばしたのでしょうか。
拙寺にこの手形が現存している理由は不明です。あるいは、此の地で亡くなったのかもしれません。