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古文書
2024/08/21
往来手形⑤

原文

       往来手形之事
              備後国福山領品治郡近田村
                          瀬能昌玄
右之者代々浄土真宗拙寺壇那二紛無御座候
今般諸国巡拝二罷出申候所々御番所
無相違御通シ可被下候萬一何方二而病死
仕候共此元江不及御付届二其所任御作
法可然御葬可被下候様奉願候為後
日往来一札仍而如件
              備後国福山領品治郡近田村
  文政十三缶庚寅歳二月         寶泉寺

   国々
    御番所
   所々
    御関所
     御役人衆中           

書き下し文

      往来手形の事
              備後国福山領品治郡近田村
                          瀬能昌玄
右の者代々浄土真宗拙寺壇那に紛れ無く御座候
今般諸国巡拝に罷り出申候 所々御番所
相違無く御通し下さるべく候 万一何方にて病死
仕り候共此元へ御付届に及ばず 其所御作法に任せ
然るべく御葬下さるべく候様奉願候 為後日
往来一札仍って件の如し
              備後国福山領品治郡近田村
  文政十三缶庚寅歳二月         寶泉寺

   国々
    御番所
   所々
    御関所
     御役人衆中           

解説

1830(文政13)年2月に備後国福山領(現在の広島県福山市)寶泉寺から瀬能昌玄に出された往来手形です。名字がありますので身分の高い人かもしれません。
寶泉寺は福山市駅家町に現存する浄土真宗本願寺派の寺院です。
拙寺に現存する往来手形はほとんどが安芸又は備後(現在の広島県)の寺院から発行されています。江戸時代末期盛んに人物の往来があったものと思われます。
この手形が拙寺に現存する理由は不明です。あるいは、此の地で亡くなったのかもしれません。