原文
宗旨往来一札
[ ](虫損)西成郡藤野田村奥町藤五郎
此者代々浄土真宗拙寺旦那に而切支丹
之義者不及申轉ニても無之候然ルニ此度
諸国巡拝之ため罷出申候諸所
御関所無相違御通シ可被下候萬一
道中筋ニても病死仕候ハ其所之
御国方通りニ御取置被下度候其節
此方へ御届ケニ及不申候為後日之宗
旨往来依而如件
文政七年 同国同所
申ノ六月 本願寺下 圓満寺
所々
御関所
御役人衆中
書き下し文
宗旨往来一札
[ ](虫損)西成郡藤野田村奥町藤五郎、
此者代々浄土真宗拙寺旦那にて、切支丹
の義は申すに及ばず、轉にてもこれなく候、然るに此度
諸国巡拝のため罷り出申し候、諸所
御関所相違なく御通し下さるべく候、万一
道中筋にても病死仕り候はば、 其所の
御国方(国法?)通りに御取り置き下され度候、其節
此方へ御届けに及び申さず候、後日のための宗
旨往来、依って件のごとし
文政七年 同国同所
申ノ六月 本願寺下 圓満寺
所々
御関所
御役人衆中
解説
この文書は「往来手形」と呼ばれ、諸国の寺社参詣、巡礼、遍路等出かける際に所属する旦那寺や村の庄屋によって発行されます。この手形は文政七年(1824)に発行されています。
圓満寺の下の部分が破れているのは、おそらく本人(奥町・藤五郎)が無事に野田村へ帰還したため印面を破棄したのではと思われます。無事帰還した証拠として破棄した可能性があるのです。
箱根等の関所を通行委する時は、この手形を差し出し通行を認めてもらったのでしょう。
途中で死去した場合は、その地の作法で葬ってもらうよう記しています。
おそらく遺骨も戻ってこなかったのでしょう。