原文
切支丹宗門御改一札之事
越前国足羽郡品ヶ瀬村住人
宗門ハ浄土真宗本願寺末流真勝寺 弥五兵衛
同人妻 よそ
同人悴 弥八
同人悴 五作
同人悴 京枩
〆五人
右者拙寺門徒二其紛無御座候若
御法度之切支丹宗門之由訴人於有之者
拙寺ゟ罷出急度相嗜可申候此度京都江
参詣致候万一此者何国二而病死仕候共
其所之御作法通御支配被成可被下候為後日仍而如件
嘉永六癸丑年 越前国服部庄
二月日 真勝寺
国々所々
御役人衆中
書き下し文
切支丹宗門御改一札の事
越前国足羽郡品ヶ瀬村住人
宗門は浄土真宗本願寺末流真勝寺 弥五兵衛
同人妻 よそ
同人悴 弥八
同人悴 五作
同人悴 京枩
〆五人
右は拙寺門徒に其れ紛れ無く御座候 若し
御法度の切支丹宗門の由 訴人之れ有る者
拙寺より罷り出急度相嗜め申すべく候 此度京都へ
参詣致し候 万一此者何国にて病死仕り候共
其所の御作法通り御支配成され下さるべく候 後仍って仍って件の如し
嘉永六癸丑年 越前国服部庄
二月日 真勝寺
国々所々
御役人衆中
解説
嘉永六(1853)年二月に真勝寺より出された切支丹宗門改めです。内容は宗門改ですが、往来手形とみなされます。京都参詣のため発出され、国々所々御役人へと記されているからです。
真勝寺は福井県越前市に現存するお西(本願寺派)の寺院です。足羽郡品ヶ瀬村は調査すると現在の足羽郡美山町付近と判明しました。
真勝寺の門徒弥五兵衛一家が京都参詣のため旦那寺より発行してもらった手形です。この手形がなぜ圓満寺に現存するのかわかりません。なんらかの事情で大阪まで行き着いたのかもしれません。